Saturday, February 11, 2006

さて、筑摩書房刊 「日本の思想 第14巻 神道思想集」の解説、石田一良著「神道の思想」であるが、先ずは、まえがき「日本文化の展開と神道思想史」から。

この論では、日本の文化史を、古代・中世・近世という分類ではなく、中国文化伝来以後の日本の文化史を、承久・建武(1221-1334)、特に文永・弘安の役(1274-1281)をもって2つに分ける分類法を提唱している。

それ以前が古代で、それ以後が近世であり、中世という概念は日本文化史には明確に存在しないという立場だろうか。

古代は、典型主義文化 (律令による古代国家、公家の世界観や芸術)
近世は、日本の風土、水稲農業に根ざす函数主義文化 (式目・法度による封建国家、武家の世界観や芸術)

と言う風に説明している。典型主義とか函数主義という用語は、私自身は、少々理解できていないのであるが。

さらに、古代を、

1:中国文化を模倣した奈良時代とその日本化が始まった平安時代前期(古代律令時代)
2:日本化の進展した平安時代中期(摂関時代)
3:日本化の極端に進んだ平安時代末期(院政時代)と鎌倉時代前期(源氏将軍時代)

と言う風に分けている。

神道に関して言うと、神道が多少とも体系ある思想を持ち始めたのは、平安時代末期、院政期に入ってからであり、この頃、本地の仏が神となって垂迹するという「神仏習合思想としての本地垂迹思想」が成立したと述べている。

以後の習合神道は以下の通りである。

1:鎌倉・室町時代の神道仏教習合神道 (本地垂迹神道、両部神道や吉田神道など)
2:徳川時代初期の神道儒教習合神道 (林羅山や山崎暗斎などの、いわゆる儒教神道)
3:徳川時代後期の神道国学習合神道 (本居宣長などの古学神道)
4:幕末維新期の神道基督教習合神道 (平田篤胤や渡辺重石丸などの平田神道)
5:明治・大正・昭和時代の神道国家主義習合神道 (いわゆる国家神道)

古来の神道は、習合する思想の方向から、

1:仏教・儒教やキリスト教のような外国から伝来した思想と習合した神道
2:国学や家制国家主義思想のような外国思想の影響を受けながら、日本で生まれた思想を習合した神道

に分けられると言う。

承久・建武時代を境に、

1:外来の思想(仏教)が主体となって外来思想から神道を説明した時代 (外来思想が神道を包摂した時代)
2:神道が主体となって、外来思想(仏教・儒教ないしキリスト教)を借りて、自らを説明しうるようになった時代 (神道が外来思想を包摂した時代)

とに分けられるとも述べている。

これは、古代における華やかな中国文化やその国風文化の底に、太古以来の素朴な神信仰が潜行していて、それが、承久・建武時代に歴史に現れたことを意味するのだという。

神道は、この時期(易・老荘などの思想を借用しながら)自らを自覚し、ロゴス化した伊勢外宮に「神道五部書」を成立せしめた。
この「五部書」の思想的態度は、近世初頭の伊勢外宮の度会神道に継承され、伊勢山田に古学神道を発生させ、その後も、常に神道思想の展開の中核に存し、神道から仏・儒・基の影響を払拭して神道の原始(本来)の姿を復帰させようとする。
これは、伊勢神宮が(ことに外宮が、さらに言うと、外宮を通じて内宮が)、神仏・神儒ないし神基習合思想に対し、神道原始の姿を保持発揚しようとしたことを意味しているように思われる。

と、最後には書いてある。

一つ疑問に思ったのは、易・老荘思想(いわゆる道教)は、外来思想として分類されていないような気がするのだが、それは何故?

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