続いて、
第一章 神道思想の展開/ 第二節 習合思想の展開/ 1神道仏教習合思想
2神道の自覚 - 神道五部書
日本文化が承久・建武の間に、やっと自己を表現できるようになり、この時期に神道でも「神道五部書」 - 「宝基本記」「御鎮座伝記」「御鎮座次第記」「御鎮座本記」「倭姫命世記」 - が成立。
後世、外宮神道の経典として「禁断の書」と言われ、神官でも60才を超えるものでなければ見ることは許されなかった。
五部書の作成の動機に、外宮の内宮に対する祭神格上げの意図があるとしても、歴史的意義は別のところにある。
五部書は、心身の清浄(内清浄・外清浄)を説き、「正直」の徳を神道の主要な徳目として強調する。内七言や忌言葉や六色の禁法を説いて、死穢や仏臭を忌む神道の伝統的態度を堅持。
神仏の関係では、人の心が劣悪になったので、天照大神は、託宣をやめ、日の小宮に隠れ、衆生の教化を仏に委ねたが、必要があれば、いつでも託宣を下すであろうと説いて、神と仏とを峻別している。
神道古来の「祭としての思想」を意識して、ロゴス化しようとしたが、その手段として易や老荘の思想を借りた。しかし、仏教臭を排斥しようとする意図からであり、易や老荘の思想と習合しようと企図したものとは考え難い。
と、著者は書いておられるのだが、この辺りは、再考の余地があるのではないかと思ったりする。というのは、福永光司なんかの詳細な道教研究などから、日本の奈良・平安時代の道教の影響を証明するような研究成果が多数出ているような気がするから。
参考サイト:「神道と道教思想−神道思想の形成と道教−」
「神道五部書」を生んだ外宮から、度会家行が「類聚神祇本源」を著す。仏教の混交が認められる。
北畠親房は、陰陽五行の説で日本の開闢を説き、儒仏二教にも寛容であった。
一条兼良の三教一致の神道論や卜部兼倶の唯一神道を準備するもの。
しかし、これらは、神道の立場から儒仏老三教の諸説を習合している点で、従来の仏教から神道を説いた本地垂迹としての神仏習合思想とは性質を異にする。
3反本地垂迹説の成立「唯一神道名法要集」
神道五部書を回転軸に本地垂迹思想を反本地垂迹思想に裏返す。
慈遍「旧事本紀玄義」如来は「皇天の垂迹」であると言う。
天台僧光宗「渓嵐拾葉集」天台の恵心流では、山王(日吉神社)は本で、三塔(東塔・西塔・横川)は迹である。これを本下迹高と言う。
「太平記」天照大神が、あるときは垂迹の仏、あるときは本地の神にかえると説き、これを迹高本下の成道であると述べる。
卜部兼倶の「唯一神道名法要集」は、こうした思想の流れを受け、それらを美しい体系に築き上げた神道思想史上、稀に見る書物。
在来の神道を「本迹縁起神道」と「両部習合神道」に分け、新たに「元本宗源神道」を提唱する。在来の習合神道説を始め、仏教、ことに真言の教えや、儒教・道教の説を習合するが、神道を基本とする立場を失っていない。
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