さて、今回は、
III 神道国学習合思想 古学神道の形成 - 玉鉾百首 -
私が、神儒習合に違和感を覚えたのと、同じような違和感を覚えた人も江戸時代にはいたようではある。
徳川時代後期に国学は起こる。古くは、鎌倉時代に発し、室町時代に発達した日本学(倭学)の精神的伝統を継ぐものではあったが、元禄時代以降の儒学界に流行していた古学復興の機運とその文献的研究方法とに影響されて成立。
伊藤仁斎は、山崎闇斎の極めて学問的な方法を「論語」「孟子」に応用して、古義学を樹立。
荻生徂徠は、仁斎の方法を六経に施して「古文辞学」を提唱。
契沖。「万葉集」の訓詁・注釈によって倭学に復古の機運。倭学と儒学の新しい学風を受けて、国学と国学校の創立を提唱。
賀茂真淵。国学を文化の理想・規範を古代におく道学として徹底。
荷田春満。儒教を人為の理屈として排斥。神道は、ただ自然無為の大道である。からごころを清くはなれて神をただうやまい拝礼するのが古(いにしえ)のまことの道と説く。
真淵は、儒教を排斥するのに老荘の思想を借りる。老荘思想のさかしらをきらい自然を尊ぶ思想が、儒仏排斥に理論的根拠を与える。(本居宣長)
本居宣長は、老荘思想をも退け、ひたすら「神の道のままなる道」を求める。文献学的に明らかにされた「古事記」の内容が、そのまま神の本質に外ならない信じ、それをそのまま彼の信仰とした。この信仰・思想を「玉鉾百首」に詠んだ。
彼は、「古事記」の中にのみ神道があると信じ、「古事記」の文献学的研究に没頭し古神道の神髄に迫ろうとした。
しかし、「古事記」が日本の古代統一国家形成時代の政治が色濃く反映されていることに思う及ばず、「古事記」「神代巻」の研究成果をすべて原始神道の内容と信じた結果、「原始封建制度を倒して古代統一国家を樹立するためのイデオロギーとしての神道思想」へ復古することになった。故に、徳川幕藩体制を倒して、近代統一国家を形成すべき思想的原動力となることができた。
古学神道とは、国学と習合した神道に他ならない。
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