Wednesday, October 19, 2005

このところ小泉首相靖国参拝で少々騒がしい。10月17日に秋季例大祭が始まるので参拝したと言うのだが、手元にある暦では、10月18日が靖国神社秋祭となっている。で、ちょっと調べてみた。ウィキペディア(Wikipedia)- 靖国神社によるとこうである。

10月17日 - 20日 秋季例大祭
* 10月17日 清祓
* 10月17日 臨時大祭
* 10月18日 当日祭 (敗戦までは10月23日〔日露戦争海軍凱旋観艦式の日〕)
* 10月19日 第二日祭
* 10月20日 第三日祭
* 10月20日 直会

なるほど、18日は当日祭ということだ。といってもよく意味はわからないが。

靖国神社んついては、上述のウィキペディアのサイトでも読んでいただければいいのだが、ここでも少し書いてみよう。
靖国神社(やすくに・じんじゃ)は、東京都千代田区にある神社で、近代以降の日本が関係した国内外の事変・戦争において、朝廷側及び日本政府側で戦役に付し、戦没した軍人・軍属等を、慰霊・顕彰・崇敬等の目的に祭神として祀るための神社である。
日本で国家に殉じた戦没者(自衛隊殉職者も含む)を祭神とするため、日本国外では戦争神社(war shrine)と呼ぶ人もいる。地名から「九段」「九段下」などと呼ばれることも多い。
単一宗教法人であり、神社本庁には加盟していない。
である。
確かに、英語では、war shrineと書かれることも多いようだ。

祭神については、
靖国神社に祀られている「祭神」は神話に登場する神や天皇などではなく、「日本の為に命をささげた」戦没者、英霊(英でた霊)である。
とある。

また、
戊辰戦争の官軍側戦没者を祭ったことが靖国神社の起源だが、幕末の吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作なども合祀されている。従って、戊辰戦争で官軍に反抗した幕府軍、西南戦争を起こした西郷隆盛は(明治維新の立役者でありながら)、賊軍であるため祭られていない。また、明治期の軍人、乃木希典や東郷平八郎も戦死ではないため、祀られていない。
ということである。国家(官軍)のために戦争で死亡した(非業の死を遂げた)人々を神として祀り、その霊を慰めたと言うことである。「乃木希典や東郷平八郎も戦死ではないため、祀られていない。」ということから、軍人を祀る神社でもなさそうだ。これはこれでなんら問題はなさそうである。
しかし、日本はやがてヨーロッパ列強と伍して中国に進出する。やがて、太平洋戦争に突入し、敗戦への道を歩み始める。「死んだら靖国に祀ってやるから」といって、一般の人々を戦争に駆り立てていきはしなかっただろうか。特に戦争末期は。かなりカルト的(自爆、集団自決)な方向へ向かっていたことは、それは歴史的事実であるだろう。それが、本当に祖国防衛のための戦いであったかどうか少々疑問である。

前にも書いたと思うが、「あなたの宗教は?」と問われると「仏教です」と答えることにしている。深い意味はない、お葬式や法事、ご先祖様の供養は仏式で行なうというほどの意味である。大学時代、キリスト教哲学を専攻していて、無教会のキリスト教に興味を抱いたこともあったが、日本の伝統的な自然観に基づく自然神道にも興味を持ち続け崇敬もしている。元来、日本では、仏教と神道とは、区別か付かないぐらい結びついていたものだろう。最近は、また、キリスト教の聖人や巡礼などに関心はあったりするが、それらは、なんとなく日本の札所巡りや遍路を彷彿とさせる。

明治以後の日本の近代化の中で、国家神道のような宗教を必要としたことは、ある意味理解できるとしても、日本古来の宗教とはまったく異なるものであり、私などの持つ宗教観とは異質なものである。それは、国家と宗教の問題であり、国家は、できる限り非宗教化し、信教の自由を保障することが大切なのではないかと思っている。ただ、信教の自由を保障するのは国家であることを忘れてはならないが。

今回の小泉首相の靖国参拝は、できる限り私的参拝に近づけようとする意図が明らかに感じられるものであったが、中韓の反応は変わらなかった。A級戦犯合祀の問題は、厄介だ。小泉首相の意志には敬意を表するが、なんとなく控えたほうがよかったような気もする。

新聞によれば、参拝賛成42%、反対41%。

A級戦犯については、
ウィキペディア(Wikipedia)- A級戦犯

Tuesday, October 18, 2005

何やら外が明るいと思って外に出てみると、月明かりであった。今日は十六夜。昨日の十五夜は、部分月食が見られるはずであったのだが、残念ながら雲が多く、雲間に少し姿を見せるだけで、ちゃんと見られなかった。しかし、今日は、まったく雲のない空に、十六夜の月が煌々と輝いている。

今日は、あることで少し不安な気持にかられていのたが、この月を見ると、それが一掃した。そんな素晴らしい月夜である。

Saturday, October 15, 2005

今日は十三夜で、月を見るのを楽しみにしていたのだが、残念ながら一日中雨。今も、まだ降っている。

それでどうと言うわけでもないが、ちょっと寂しい感じの夕暮れ。

Sunday, October 09, 2005

雨は上がり、晴れ間も見えたが、もう一つすっきりしない天気だった。雲が比較的多い天気であった。明日は、前線が少し北上し、今日よりも曇りがちになるという。すっきりと晴れてくれないかなあ。

特に、何もなかった感じだろうか。草刈りをしようと思ったのだが、いらぬことをしてしまって、その暇がなかった。もう一つ身体がそちらの方に向かないみたいだ。明日も、体育の日で世の中お休み。私は、さあ、いつもと変わらぬ日々が続く。

Saturday, October 08, 2005

今日は、二十四節気の一つ、寒露。「露が冷気によって凍りそうになるころ。」

とは言え、朝起きると激しい雨が降っていた。一日、雨が降ったりやんだり。時おり激しく降るときもあったよう。明日は、ようやく晴れそうな予報ではあるが。

Friday, October 07, 2005

昨日はよい天気だったのだが、今日は、また雨。なんとなく気が滅入る。

今日は、旧暦長月五日甲子である。甲子(きのえね)というのは、六十干支の第一番目で、この日は大国(黒)天の縁日だそう。

Wednesday, October 05, 2005

10月5日は、達磨忌で、日本全国の禅寺で法要が営まれるという。

我が家は、真言宗なので、達磨忌というのは、あまり馴染みがないが、禅宗(中国禅)の開祖とされ、正しくは菩提達磨と言われるということぐらいは知っている。南インドの王国の第三王子として生まれ、中国で活躍したと言われる5世紀後半から6世紀前半の人。彼の宗派は当初楞伽宗と呼ばれ、彼の事績、言行を記録した語録とされるものに『二入四行論』があるという。

坐禅に少々興味を持った時期もあったが、結局、何も学ばず実践もせず、今日にまで至ってしまった。

Tuesday, October 04, 2005

日本では日付が変わってしまったが、今日10月4日は、アッシジの聖フランシスの祝祭日だそうだ。

それでどうという話ではないが、大学時 代に卒論も修論もアッシジの聖フランシスに関するものであったなと、少々懐かしく思い出す。卒論は、il Cantico di Frate Soleについて。修論は、チェラノのトマスの「第一伝記」についてだった。専攻はイタリア文学だった。

大学は2度卒業したのだが、最初の卒論は「福音書のルカ伝」についてだった。このときの専攻は、キリスト教学。

Monday, October 03, 2005

今日は陰暦(旧暦)長月朔日にあたる。つまり、新月である。当然、空を見上げても月は見えないのだが、それ以前に、空が雲って星も見えない状況だ。明日は、雨の予報。

Saturday, October 01, 2005

国勢調査の調査員が、国勢調査票を集めにきた。今年から封筒にシールを貼って、調査員に中を見られないようにすることができる。別にどうでもいいことだが、せっかくシールがあるからと思って、シールを貼って提出した。

聞 いてみると、シールは市役所ではがされて、中の書き込みに記入漏れや間違いがないか調べるのだという。調査員に見られないようにするだけのもののようだ。以前は、 調査員が親切にお年寄りなどに書き方を説明してあげていたような気もするが、調査員も信用をなくしてきたのだろうか。世の中、変なのが増えているからな。と、詰まらぬ ことを考えた。

俳波羅、本名は相原寛彰という。日本の四国と言う島に住んでいる。年齢は53歳。男性。独身である。仕事というほどの仕事もしていないが、一応、学習塾を経営している。生徒は、多くはない。

そんな私が綴るブログである。

My name is Haihara. My real name is AIHARA Hiroaki. I live in an island named Shikoku in Japan. 53 years old. Male. Not married or single. I teach some high school students.

This is a blog which I write what I see, hear and feel.